7月1日:なんpedia~九州編①~
フリーの制作集団「チーム なんMEGA」が運営し、リスナーが自由に意見できるFM OSAKAなんMEGA上のフリー百科事典、その名も「なんペディア」。しばらくおやすみしていましたが、今週から、期間限定ではありますが復活することとなりました。しかも新たに「九州に関するウワサ」という新カテゴリが追加されました。九州に関するあること、ないことの真相に全力で迫る「なんpedia」…
では早速、今日の気になる九州に関するウワサは??
今日の九州のウワサ
熊本城は、銀杏の木がたくさん植えられていたことから
別名“銀杏城”とよばれているらしい。
えっ~!!そんな噂聞いたことない~ホント~??ということで・・・
では早速、この噂を検証していきましょう。
熊本城…波乱と栄華に満ちたその歴史は400年前にさかのぼります…。
茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端の技術と労力を投じて築城しました。以後、熊本城は中世から近代の400年に渡る日本の様々な歴史の重要な舞台となってきました。
先の加藤清正公から宮本武蔵、谷干城など、
歴史に名を刻んだ歴史ドラマの主人公たちが熊本城で400年に渡る歴史を繰り広げてきたのです。
ではそんな「熊本城」がなぜ「銀杏城」と呼ばれているらしいのか
なんMEGAスタッフが調べたところによりますと…
そもそもは、加藤清正が熊本城を築城する際に銀杏の木をお植えになったらしい…また、清正が亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われているらしい…です。
さらに清正は銀杏の実を「食料」とするために、この木を植えたとも言われているらしいですが、
残念ながらこの木は「雄の木」で実はつけなかったらしいんです…
さてリスナーの皆さん、「へぇ~!」となりましたか??今日紹介した九州・熊本城に関するこのウワサが
本当かどうか…それを確かめるのはあなたです!
ぜひ山陽・九州新幹線に乗って、九州・熊本城まで足を運んで、あなたの目で耳でその真相を新幹線に乗って確かめて来てくださいね! 直通列車「みずほ」だと新大阪-熊本間、最速2時間59分だそうです。
それでは最後に、今日の一言です。加藤清正が食料のために植えた銀杏の木は「雄の木」だったため、「実」はつかなかった…という部分から…
「男だけやったら どぎゃんもこぎゃんもならんね。」
意味は・・・「男だけだったらどうしようもならない!」
という意味です。
来週もお楽しみに!